本日もブログを読んでいただいてありがとうございます。
今回は、年度が変わるということで、教員としての3年間を振り返っていきます。
が、3年間を1つの記事として書ききることができないので、1年ごとに分けて書いていこうと思います。
1年目を一言で表すならば
「力なき私を支えた先生たち。今の自分の基礎となる年。」
そんな1年を振り返っていきます。
拾ってくたのは大阪でした。
大学4年生、元々は大阪以外の教員採用試験を受けていたのですが、結果は「補欠合格」。
そして、合格の1枠には一番相手にしていなかった方が…。
正直すんなり合格すると思っていたのですが、「これが教育か…」と思いました。
今思えば、確かにどこぞの新卒を採用するよりも、現場で頑張っている講師の方が、採用側としても都合がいいですもんね。
(と言い聞かせています。)
半殺しの状況に置かれたまま卒論に取り組んでいた最中、大阪府から「2次募集」の通知が来たのです。(今はもうないらしいですが)
大阪なんて全く行く気がなかった私でしたが、大学の友人とともに冬の試験を受け、共に合格し、大阪進出を果たすのでした。
思ってたのと違う!
大阪進出を果たし、意気揚々としていたのも束の間、私にとって教員1年目は思い通りにいくものではありませんでした。
「先生の言うことは絶対」というような管理教育で育ってきた私は、そのイメージのまま初任を迎えることとなったのです。
「先生と生徒が同じ土俵で楽しく関わってる!?」そこから私のイメージしていた中学校像というものは崩れていきました。
生徒の実態、多種多様な特性を持つ子どもたちを前に、イメージとのギャップで混乱が生じていったのです。
「ちょっと待って!中学校ってこんなんやったっけ!?」
初任で担任を持たせてもらえるってどう?
その混乱が整理できず、子どもたちに適応できないまま進んでしまいました。
学級経営はなかなかうまくいかず、子どもたちに迷惑をかけてしまったのは、とても申し訳ないと思っています。
今の私であれば、ちゃんとできて、楽しい1年となっていただろうなぁと思いますが、そりゃそうですよね。
4年目にもなって成長してなかったらおかしな話です笑。
私にとってはうまくいかない1年でしたが「担任を持たせてもらえた」ことで、とても多くのことを学ぶことができました。
失敗があったからこそ、今の私があるのだと感じています。
しかし、それに付き合わされる周りの先生やクラスの子どもたちとその保護者には迷惑をかけてしまう結果となってしまいます。
なんとも言えませんね…
すみません、あの時は。
人としてダメなところが浮き彫りになる
「先生は生徒の見本」と言われるように、言動一つひとつに責任を持たなければならないと知りました。
22年間積み重ねてきた負の特性
・その場に適さない発言(悪い言い回し)
・自分の不利になるようなことは隠そうとする
・自分のミスを認めず謝らない
そりゃそうだろと誰がみても思います。
しかし、社会人を迎えるまでに染み付いた自分の特性はそう簡単になくせるわけもありませんでした。
もちろん、今では改善してますのでご安心を!笑
全ては周りの先生たちの手によって
こんな状態で初任を過ごしたわけで、学級の問題も出てきます。
無力化された私とその学級をギリギリのところでつなぎとめたのは、学年団の先生たちの協力あってのものでした。
ただでさえ一人ひとりが持つ仕事でバタバタする上に、初任の失敗を先生たちが尻拭いするのです。
こうして今、教員4年目を迎える私がいるのは当時の先生たちの支えがあってのものです。
あの時の経験があるから、今ではなんでもできる。
感謝の気持ちを日々の活動で示したいものです。
「力なき私を支えた先生たち。今の自分の基礎となる年。」
4年目を迎えた今だからこそ振り返れる私の1年目でした。
次回は、余裕ができたものの自滅へ向かう2年目を書いていきます。
本日もブログを読んでいただきありがとうございました!次回もお楽しみに!
コメント